神社で神様にお祈りしても願い事が叶わない!?むしろ不幸になることも!正しい礼儀と作法が大事

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あなたは神社に参拝に行った時はどんなお参りをしますか?

自分の叶えて欲しいお願い事をお祈りするのが一般的な考えですよね。

 

しかしそこには大きな落とし穴と注意点があります。

今回は神様へのお参りをする時のコツを紹介しようと思います。


 

世界中では天変地異が起きたり豊作だったりすると
神様のチカラだと言われる事もあります。

 

その規模の出来事を起こせる神様であれば人一人の
願い事を叶えるのは簡単です。

 

しかし神様がそう簡単に人間の願い事を叶えてくれる事はありません。

 

まずは神様への礼儀作法や意思を伝える道を開く事が先になります。

それからでないと神様は話すら聞いてくれません。

しかしお祈りをしても願いをかなえてもらえるとは限りません

 

人間と神様とはそれこそ天と地との差があります。
人間はその神様に無条件でお願い事を叶えて頂こうという
考えの人が多いです。

 

もしあなたが物凄い格下の人に
無条件でお願い事をされたら叶えますか?

普通だったら自分にもメリットがないと叶える気にはなりませんよね。

神様が人間にボランティアすると思いますか?

これは人間関係でもあることなのですが、
誰かにお願い事をする時に自分だけ得をするということは
とても難しい事なんです。

特にかなり目上の人に何かを頼む時は
それ相応の価値か、もしくはそれ以上の価値を与えないと
相手は話すら聞いてくれません。

 

神様も同じです。

 

かといって神様に価値を与えることは難しいです。

 

『けど私はお賽銭いれてるし〜』
とか思ったあなたは甘いです。

 

お賽銭と言ってもお小遣い程度の金額しか入れない人がほとんどです。

 

それで自分の欲しいものを手に入れようなんてのは本当に甘いです。

 

もしそういう人が安易に神様に願い事をしてしまうと
神様は願いを叶えてくれる代わりに、
あなたからそれ相応の代償を奪ってしまうことがあります。

 

それってかなり恐ろしい事なんです。

 

もし『彼女が欲しいです』と神頼みしたとします。

『では願いを叶える代わりにあなたの大事な人を一人奪います』

 

そんな感じです。

じゃあどうやったら神様に代償を取られないか?

それにはまず正しい礼儀作法でお参りすることが大事です。

 


 

☑参道のど真ん中は通らない

☑二礼二拍手一礼(大黒天様系列では二礼四拍一例)

☑清潔にしてお参りする(手水舎ちょうずしゃを使う)

 

この辺は常識的な作法として覚えておきましょう。

 


 

さて、

ここからが大事なのですが、
神様に代償は取られたくないなぁ?
と思ってしまいますよね。

 

スピ系の中で生きていると、
その考えを持つ時点ですでに願いはかないません。

 

神社に行く時の本来の心得を教えようと思います。

 

神社は神様にお願い事をしに行くところではなく、
自分の覚悟や決意の意思表示をしに行くところです。

 

 

神社で神様にお参りするときの例

『今年、私は〇〇を頑張ってやり遂げます』
『家族の病気が治るために必死にサポートします』
『子供が受験に受かるようにサポートしたします』
『ビジネスが成功するために全力を尽くします』

 

そして自分の意思表示が終わった後はしっかりと

 

『お聞きくださりありがとうございました』

 

とお礼を述べてくださいね。

 

そうすれば神様は必ず見守ってくれます。

 

努力している人にはチャンスを与えてくれますし、
怠け者には何も与えてくれません。

 

まぁもっと詳しく話すと

神様を社に卸し意思の扉を開く儀式作法や

再び上がってもらう作法もあるのですが

また別の機会に紹介したいと思います。

 


 

まとめますと、

神社で神様に他力本願でお願い事をしてしまうと
逆に罰が当たる可能性もあります。

神社は自分の意思表示をしてくるところで、
お祈りをするのは代償を伴う可能性もあります。

神様は礼儀作法や清潔な身なり、
普段の信仰心などを深く重んじます。

もし神様とお近づきになりたいのであれば
ちゃんと心得を学ぶことをお勧めします。

これは人間界でも言えることですね。

神様にはお願いをしに行くのではなく
意思表示ができるようになってから行くようにしましょう!

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コメント

  1. 菊狐 より:

    お賽銭は小遣い程度の金額だとしっぺ返しを食らうという以前に、どんな金額を入れようと気に入らない願いは叶えてすらくれません。そもそも神社はお願いする場所ではありませんから。筆者さんのいうような「〜が成功するように頑張ります」という誓いの言葉も裏を返せば願望なんです。言葉を変えてるだけです。もし、それを聞いたとしても「本当はお願いしに来たんでしょ?」と気にも留めてくれないでしょう。神様はすべてお見通しです。神社に来る暇があるなら、成功のために努力するべきだということを知っておられます。神社に来るのは、あくまでも生きていることを感謝するため、そしてこれからも自分を含め家族皆が健康でいられるように祈るため。病気や不幸に遭われている人たちのための幸福健全を祈るため。そこに私欲が混じれる空きはありません。

    神社に来なくても、神様は努力しているところを見に来られていますから、参拝したところで、「わざわざ宣言しに来たのかい?」とあしらわれてしまうだけです。私利私欲の願いはほとんど叶えてもらえないと思ったほうが懸命でしょう。

    ところが、例外があります。願いを叶えるという欲が強く、そのために何度も神社に来る人間です。そういう人間が参拝すると起こるのは、表では自分の願いが叶ったように見えるが、裏では家族や誰か身近な人が不幸になる、という現象です。これは一般的には低級霊(狐)の仕業だとか言われておられますが、そうではありません。身内が不幸に遭えば、焦点は自分ではなく、身内や家族に向けられるべきなので、自分の心の未熟さを「不幸」を以って理解させようとしているのです。「自分の幸福だけじゃなくて、もっと先祖や家族を大事になさいよ」と。それでも自分の身だけを気にする人は本末転倒ですね。次に起こるのは自分が堕ちるとこまで堕ちていくだけです。

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